2009-04-24 02:47:18
テーマ:動物病院の四季

「先生 居るかぁ」
休憩時間に玄関で誰かが呼んでいる。昼寝を邪魔された私は不機嫌に応対する。
「こんな時間にどうしたん。今診療所を開けるから」
「いつも世話になるんで、これ・・。先生、やっと仇を取ったよ」
ハンターの安江さんが新聞紙で包んだ重そうな荷物を診察台に投げ出す。
べっとりと血がしみた新聞紙の中は私の大好物、猪(いのしし)肉である。
昨年の刈入れの季節に、安江さんの集落は猪の大被害にあった。連日のように稲田が荒らされ、イモ類まで食べつくされてしまい、収穫ゼロの農家まで出た。おまけに役場からの要請で有害鳥獣駆除に出た安江さんの相棒・猟犬のブチは猪の鋭い牙で腹を割かれて死んだ。
近年、猪の農業被害が増加している。ネットや電気柵で農地を囲っても猪は直ぐに学習する。柵の下にトンネルを掘って侵入し、刈り入れ前の一反の田んぼが一夜で全滅する。猪は稲穂をくわえ、籾だけを器用にすき取る。食べるだけで帰ればいいのに、猪は収穫前の硬くなったわらを使って体の掃除を始めるのだ。体表に付いたダニを落とすため自分の体をローラーのように回転させ、田んぼ中を転げまわる。これによる被害は食害より遥かに大きい。
猪や熊が人里に出没するようになった原因はほぼ定説化しつつある。雑木と呼ばれてきたナラ、ブナの原生林がスギやヒノキの人工林となり、山全体が下草も生えない貧弱な植生になった。そして山に猪の餌がなくなり、彼らは里に降り下り、田畑を荒らすようになった。
しかし私はそれだけではないと思う。
かつて安江さんの住む村の住民は殆どハンターであったが、近年、彼等の多くが高齢化し鉄砲弾が当たらなくなった。各地の山間の村でハンターが激減している。
人里と人跡未踏の大自然との間に広く存在した、ヒトと野生が共有する『里山的自然環境』。そこが村人の猟場であった。
『一方の主役がいなくなったもんな』
そんな事を考えながら、私は猪鍋の夕ご飯を楽しみにしている。